アーティストインタビュー

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呉 一騏 先生

呉 一騏 先生

山水行 行山水

「聖山」を思わせる独特な水墨山水表現世界で、東洋の山水画に新たな境地を開く呉一騏先生。富士山を望む静岡のご自宅で、山水画に対する思いを伺いました。


●玄関を開けると、富士山の全景が見えるなんて贅沢な環境ですね!六、七年前からここ(静岡県富士宮市)にお住まいですが、きっかけは?

呉:中国には「開門見山」という言葉がありますが(註:玄関を開けると山が見えるような間取りの家が良い、という風水の教え)、私は「日本一の山“富士山”あるいは私が“霊山の想い”で、その“山の側に住みたい”」という気持ちで富士山麓にアトリエを構えました。今毎日〝霊山”と雲遊できる私は、幼い頃、父がある岩山に連れて行ってくれたことがあって、雲が私の足元に浮遊することがありました。その頃から漠然と「将来はこんな所に住んでみたい」という願望はありました。中国でできない夢は日本で叶いました。縁があったんですね。

●作品のメインモチーフである“山”は、富士山とはだいぶ違うようです。呉先生が制作なさるときに思い描くのはどんな山なのでしょうか?

呉:私にとって“山”というのは“神々の山”です。“山”は天と地の接点ですから山に登ると天に触ることができる。だから“山”も“天”も衆神霊のいる処だと思います。だから山を単純に思わせることではないと思います。“山”という永遠のテーマを作品に表現する、抽象より心象的な表現になるのもそのためかもしれません。そもそも“山水画”は、風景画と違う”認識”ができます。あるいは表現する理念的なものは違いますね。

●呉先生の作品を初めて拝見したとき、まるで心身が俗世から解放されるような思いがしました。この世にあるのに、ないような、神様に近いようでいて遠いような…座禅のような静寂を感じます。私は伝統的な水墨画にはさほど関心がないのですが「今までに見たことがない墨絵だ!」という驚きがありました。

呉:今年は来日二十周年にあたります。

来日したばかりの頃、生活のために注文通りの絵を描き続けたことがあります。まるで絵を製造する機械ですね。その時から、内容を追求することや、自己精神を表現することが自分にとっていかに大事かを痛感しました。しかし食べずに描くことは不可能ですから、二年ぐらい絵の製造をしました。

山水表現とは“山”を見たから“山を描く”というわけでは、新しいものは生まれません。一個人としての「精神」「人格」「思索の軌跡」を作品にこめたいという願いがあります。

文化大革命という苦しい時代に青年期を過ごしたせいか、自分の作品には「光」を求めてしまいます。つまり、自然の光ではなく、“夢の光・希望の光・神々の光”を求めながら私の作品に表現したいのです。

山水表現の伝統から新たな表現も求められる現代には、「山水品格」という要求を加えることが現代に生きる私の使命だとも感じます。つまり、先人が築いた「山水絵画」を、現代の「山水精神」という理念に高めたいのです。

●95年からは「天光シリーズ」を制作していらっしゃいますね。

呉:そうです。「天光演繹」系列という作品です。人間は「天」という揺らぎない存在に、絶えず夢や希望を託し「光」を求めています。天地をつなぐ「山」を原点に“現代山水”表現という研究創作を続けています。

そうやって創作する行為が、私という一個人の理念や意識の表現する軌跡となるでしょう。表現とは自己意識に沿って、理念的なことと技術的なことがありますが、95年から固有の水墨技法の放棄と新たな表現技法の研究など現在も続けています
画風が生まれるのは努力というよりも運命だと思っています。もちろん容易ではありませんし、意識的にやることも多いですが、現在の表現は湿気の多い日本で生活している私が「水・墨・光」から生み出したものです。
道家老子の「道徳経」にある言葉は(☆注)私の座右の銘で、現在も勉強中です。“天光”を表現テーマとして、宇宙の神秘を感じる現代山水表現の作品をしたい、それに“創構”という過程で「…其中有精…其中有信」の“悟る”ようで、私の山水表現と思います。

人間が神から皆な平等に与えられている思索力・考え方から、私が「光」を求め続ける、作品は生きる私の姿。自分の世界として表現できるのは画家の喜びですね。

 

(☆注)道之為物 惟恍惟惚 其中有象 恍兮惚兮 其中有物 窃兮冥兮 其中有 精其精甚真 其中有信(道家老子「道徳経」より

 

ギャラリー通信#15(2007年7月) インタビュー記事より