2006年12月20日、尤 勁東(ユウ ジンドン)先生の作品展「青春に捧げるオマージュ」が北京の中国美術館で開催されました。尤先生は1990年から活動の拠点を日本に移しましたが、「文化大革命(以下文革)を経験した自分の青春時代を描きたい」との一念で2000年夏に帰国し、経験そのものを題材に描きつづけています。今回の展覧会「青春に捧げるオマージュ」は、文章と共に構成した「絵画小説」というフィクション仕立ての展観です。(この小説の主人公は尤先生自身ですが、李青年として登場しています)
文革時代、都会暮らしの李青年は他の多くの若者と同様、自ら志願して北大荒(中国東北部にある開拓されていない広大な荒野)を開拓する一員となりました。日記という個人的な記録さえ「密告」の対象になりかねない中、日々の様子をスケッチしていた李青年は仲間から「政治の勉強をないがしろにしている」とリーダーに告げ口されました。ところがその画才に気付いたリーダーは「北大荒でみんなが頑張っている様子をアピールしてほしい」と制作を後押しし、絵のコンクールへの出品を命じました。
その出品作を運ぶトラックの荷台に乗り、極寒の夜空の下、それまでの道のり(大作を描くために特別に与えられた十五日間と、荒野の開拓作業に従事する数年間)を回想するーその李青年の様子を、絵画と文章とで構成したのが、今回の展覧会「青春へ捧げるオマージュ」でした。映画ではなくて、小説でもない「絵画小説」。大きな宣伝広告はありませんでしたが、展示室は観客であふれ、絵画の大きな力を証明する新機軸となりました。
■ 窓に託した希望
出品作について尤先生は「大きな時代の中の小さな自分(日記)」「小さな日常を反映する大きな作品」と語りますが、大きな特徴のひとつは、多くの作品に窓が描かれていることです。窓のある風景ではなく、野焼きをする原っぱや、人員がすし詰めになった車の荷台など、本来ならあり得ない所に窓がぽっかりと浮かんでいます。理想に燃えて乗り込んだ北大荒では、他者の目から逃れられず、モデルに抱いた初めての恋心も、密告を恐れて打ち明けられずに終わります。「空が天井、黒い大地が床。僕はこの幻想の窓を“開拓者の窓”と呼ぶんだ。すべてをさらけ出せる自分だけの窓がほしかったから」と尤先生は語っていました。広大な荒野で中腰になって作業をしていると、空はいつも左右両辺にひろがり、地平線にぐるりと囲まれて、青年は北大荒という陸の孤島にいるかのようでした。
写真左:「禁食的天果(禁断の果実)」キャプション(右下)は 当時の日記を思わせるものになっている。
中央:「こころの窓」「空が天井、黒い大地が床。僕はこの幻想の窓を“開拓者の窓”と呼ぶんだ。すべてをさらけ出せる自分だけの窓がほしかったから」
写真右:「野焼き」 「野を焼く。そして、その広大な地を耕し、農作物を育てる。僕らの小さな日常を、大きな作品にした。
■ 禁断の果実
中でも、作品「禁食的天果(禁断の果実)」は強烈に印象に残りました。文革当時、政治的な発言はもちろんのこと、文章、絵画、音楽といった個人の自由な表現はすべて政府に統制され、仲間たちからも監視される情況でした。
この絵は、そんな時代に「政治学習会」をさぼって逢引をする一組の男女が、捜索隊に見つかってしまった瞬間をとらえています。人目をしのび、麦藁の山に掘った穴で愛を交わしていた男女が、夜の闇に飛び交う無数の蚊と共に懐中電灯に照らし出されます。
光の円のなかにS字を描いてうねり、逃れようのない視線を浴びて悶える裸の男女。ほんのりと色づいた肌から、どんな時代であろうと、その中に生きていたのは確かに血の通った人間たちだったのだと思い知らされました。 この作品の衝撃的な構図、大きな筆致ながら繊細に描き出された生命感、そして筆舌に尽くしがたい美しさが、想像を絶する世界を際立たせて、リアルに伝えてくれました。昨年の春、尤先生のアトリエで完成間近のこの作品を見た私は、全身が震えて涙があふれました。その後、雑誌『上海芸術家』の編集長をつとめる友人に電話をかけ「美術史に残る傑作を見つけた!」と伝えました。
のちに『上海芸術家』の表紙を大きく飾ったのも、北大荒で労働に従事していたかつての仲間たちが、誰からともなく絵の前に花を手向け、展覧会のオープニングから1時間後にはたくさんの花束が集まったのも、この作品が痛ましい時代の自分たちの象徴として、多くの人の心を打った表れだと言えるかもしれません。
■ 今を生きる
絵を描くチャンスを運良く手に入れた若い李青年と、今なお当時の記憶に影響される作者・尤勁東。フィクションと現実が重なり合って、一個人の変遷は文化大革命という歴史的なエポックを見事に描き出しました。
後年北京の美大に進学した尤先生(作中の李青年)は、ストーリー中に登場するコンクール出品作を引き取りにでかけましたが、行方はわかりませんでした。栄誉ある賞を受けながら、極寒の夜道を疾走したトラックの荷台を最後に、足跡が途絶えた幻の作品は、現在から当時までの距離、隔世の感を象徴しているといえるかもしれません。
会場には中国各地に散らばった、あの時代を共に過ごし、今は五十?六十代になった仲間たち数十名も集まり、みな青春時代に戻ったような表情で作品を指差し、「この人、あなたじゃないの?」などと楽しそうに笑い、当時を振り返っていました。
活動する国や表現方法はさまざまですが、私どもが扱う作家たちもまた、文革の波に洗われた世代です。時代と共に生きる作家たちをこれからも支えていこう、その決意をいっそう強くした展覧会でした。 ※佳木斯(ジャー・ムー・スー)は、中国東北部にある地方都市の名前。尤先生はコンクールに出品する絵画を農業用小型トラックでここに運んでいました。
ギャラリー通信#11(2007年2月号)より